パンフレットの「全国自主怪獣映画選手権」のページを執筆・編集させていただいた、ライターの馬場と申します。熱海怪獣映画祭については、昨年開催された第1回は残念ながら不参加だったのですが、『特撮秘宝vol.8』の特集記事を拝読するなどして情報を得ておりました。第2回となる今回、このような形でお手伝いすることができ、また当日も参加できたことを大変嬉しく思っております。
「熱海を怪獣の聖地に」という、この映画祭のコンセプトとも言える言葉を目にした時、否応なく期待に胸が膨らみました。自分は25歳ですが、我々の世代にとって「聖地」という言葉は、本来的なものとは異なる特殊な意味を持っています。
2000年代後半からアニメ作品を中心に、作品とその舞台となった土地を繋ぐ造語として「聖地」というスラングが生まれました。数多のヒット作品におけるアニメファン・オタクたちの「聖地巡礼活動」によって、今では一般メディアにも浸透しつつあるこの言葉ですが、果たして怪獣映画での「聖地」とはどこか? と考えると意外に思い浮かびにくいことに気が付きます。54年版『ゴジラ』の服部時計店、『ガメラ3 邪神覚醒』の京都駅など、ランドマークを「ロケ地」として怪獣に襲撃させる発想は怪獣映画の黄金パターンです。平成ゴジラ(特にVSシリーズ)では、作品ごとに全国各地の大都市が怪獣上陸の舞台となりました。
しかし今日的な「聖地」とは、その土地の協力や誘致、そしてなによりファンやオタクたちの熱い「巡礼活動」が顕在化してこそ成り立つもの。アニメ『らき☆すた』の鷲宮や『ガールズ&パンツァー』の大洗などがその好例でしょう。この2000年代後半以降のアニメシーンにおける「聖地」ムーヴメントの隆盛をオンタイムで体感してきた自分にとって、怪獣映画でも「聖地といえばここ!」という場所がなかなか生まれない現状は、歯がゆいものとして映っていました。
そんな中で始まったこの熱海怪獣映画祭は、まさに今日的な「聖地」を怪獣映画にもたらす最高の映画祭となりました。怪獣絵師である開田裕治先生の描かれた素晴らしいメインビジュアル。各商店街をはじめ多くの場所に翻る「熱海怪獣映画祭」の幟。「映画祭」としての名に恥じない上映企画の数々。そこに集結する、特撮界を代表するゲストの面々。そしてなにより、怪獣という「神輿」を担ぎ「祭り」に興じるが如き沢山の参加者の熱気! 自分は2日目の日中の上映企画から参加者交流会にまで参加させていただきましたが、老いも若きも男も女も、怪獣に対する想いを燃やし尽くすあの空間は、他に代えがたいものだったと思います。
夕刻、熱海芸妓見番歌舞練場にて開催されたスペシャルコンサート「ゴジラ伝説 熱海絶対防衛ライブ!」。怪獣映画ファンには説明不要のこのライブで、祭りの熱気は最高潮に達しました。井上誠氏やヒカシューをはじめとする「ゴジラ伝説」ではお馴染みの面々に、『キングコング対ゴジラ』のファロ島を模した舞台、その原住民に扮するダン サー……そこに伊福部昭氏の音楽が融合することで、単なるノスタルジーや場の熱気に留まらない、異様なまでの空気が生まれていました。それは、奏でられていく音楽が映画で使われた時と全く同じ、怪獣を迎えるあの空気です。あらゆる東宝怪獣映画のサウンドを演奏した後のアンコールでは、「怪獣大戦争マーチ」と『キンゴジ』の「巨大なる魔神」を、観客の手拍子や合唱とともに熱演! 招待された地元の子どもたちすら食い入るように見詰め、音楽と空間が一体となったあの瞬間は、熱海をまさに「怪獣映画の聖地」へと押し上げるものだったと、自分は確信しています。あの場に居られたことは、比較的若い怪獣映画ファンである自分にとっても、とても特別なことだったと思います。
「熱海と怪獣」の関係性については先述の『特撮秘宝vol.8』や各媒体で、実行委員に名を連ねている伊藤和典氏や井上誠氏らが語られているため割愛しますが、熱海は元来、怪獣映画の聖地たるに相応しい、堂々たる歴史を辿ってきた土地です。ただ、その土地を聖なるものとして聖地に至らしめるには、神を迎えるために祈りを捧ぐ祝祭が不可欠となります。熱海という地において「聖地」としての条件を満たす最後のピースとなった「祭り」、それこそが熱海怪獣映画祭だったのではないでしょうか。
「第3回」の開催が決定した熱海怪獣映画祭ですが、次なる手として(勝手な)自分の希望は「オリジナル怪獣の着ぐるみ制作」です。先述のメインビジュアルにその雄姿を見せるオリジナル怪獣。あの怪獣の着ぐるみを、「神=怪獣」と「聖地=熱海」を繋ぐ依り代として、そして今後の熱海怪獣映画祭の顔として制作するのはいかがでしょうか。今後も熱海怪獣映画祭がさらなる盛り上がりを見せることを祈っています。(文:馬場裕也)